全6回 第1話 マックとの出会い(1992〜1994)
202x年、AppleのPCはごっつ薄ぅなって、めちゃ速よなりました。iMacの出だしの頃はおむすびみたいな半透明の筐体で(初代のボンダイブルーが衝撃的やった)、MacBookは重くて常にアダプタを持ち運ばなあかんかった(デザインもダサかった)。それが今やApple純正のM4やM5チップ搭載で厚みが数センチ。iMacでも暑さ1cmもないモニタ一体型。どこにHD積んでるんや?と思わせますな。しかも驚異的なパワーとスピード。起動に数秒しかかからん。コレが当たり前やなんて思いもつかなんだ。
けどねぇ、ふとした時に思い出すんです…。
「一番最初にマックを起動した時の、あのなんとも言えん感覚」を…。
「ふぃ~いぃんいう、独特の冷却ファンの音」、「フロッピーを吸い込む音」や、「ボタン一つだけのシンプルなマウス」。「突然、ポインタが動かなくなる理不尽フリーズ」、「ニコニコMac」が画面中央に出た時の妙な安堵感etc…。
一つでも記憶に残ってる人やったら「あぁ、アレ(Machintosh)の事かぁ懐かしいなぁ」と、くるはずです。
このブログはそんな古きApple社のMacintoshとそれに関わった私の思い出を、小噺風にざっくりとまとめてみたものです。そんな『Macよもやま話〜ひめよしの林檎奇譚〜』を全6回に渡って紐解いていこうと思います。
初回は「Macintoshとの出会い・1992〜1994年」です。では一緒に時間を戻していきましょか…。
0. アイボリーカラーの筐体との出逢い
あれは「MacintoshというPC」がまだ「めっちゃ高価な魔法の箱(本体+モニタ・マウスは付属、キーボード別売でオーバー百万円)」やった頃ですから、発売は1980年代後半やったと思います。
私がまだ駆け出しの安っ〜い手描きイラストレーターが、給料UPのために都内にある小さなデザイン会社に面接に行った時の事です。何やら写真でしか見たことがないホワイトアイボリーのPCがデスクの上に鎮座してました。これが記念すべき私とマックのファーストコンタクトでした。機種は「Macintosh IIcx」です。当時の機種は本体の端っ子に「七色リンゴマーク+機種名」という形で印字されていましたからわかりやすかったです。
以下、緊張の面接シーンです。

「T社長さん、これマック違いますか?」(当時は仕事場が東京だったので東京弁)
「そうだけど?珍しいの?使いたいの?」(最初からこういうノリでした)

「もちろんです!…で、誰が使っているんですか?」
「今日は来てないけど、(横を指さし)そこの席の人。なんかベジェ曲線が難しいとかなんとか言ってたけどね…。
それでも使ってみたい?カタコトのマニュアルしかないけど…ふ~んこれ、そんなに良いもんかぁ…?
しつこいようだけど、(即戦力の)中途採用だから独学になるよ。でも使ってたい?本気で?」
あんまりな言われように正直、心折れそうになりました。でも、やっぱり使ってみたい…。
ここまで言われると「この社長、ホンマはこのPCをどう思ってるんやろう?触られて欲しくないんやろか?呑み屋の狸の置物みたいに見せ物みたいに置いとくだけやろか?」と、疑り深くもなりました。他にもColorClassic IIが2台あり、ライターさんが使っているようでした。
結局、面接のはじめから帰るまで、その筐体を物欲しさ丸出しの小学生みたいにじ〜っと見てました…。
なんせ当時、マックがある処って大手印刷メーカーか、大手デザイン会社だけでしたから、私のようなパシリのボンビーデザイナーからすれば「喉から手が出るほど触ってみたいPC」です。
ましてや規模もそれほど大きくない(失礼!中小規模ですか)会社でしたから、マックの存在そのものが『神的存在』でした。(「採用されますように」)心の中でそうつぶやきながら、後ろ髪を思いっきし引っ張られながら、会社を後にしたのを覚えています。
一週間後、願いが届いたのかその会社から「正社員登用決定通知」が届きました。
もぅ嬉しゅうて「おっしゃぁ!」と小さくガッツポーズをしたのは言うまでもありませんでした。
一着しかない「はる◯まのいっちょうらネクタイスーツ」を着た私、まだ触ってもいてないくせに「気分だけは、いっぱしのMacデザイナー」でした。
しかし…物事いうもんはそう、トントン拍子にはいかんもんです。
会社につくと例の席は空席のまんま。それどころか少し小綺麗になっていました。

「あのぅ…。社長、マック使いの人は今日も欠勤ですか?」
「あぁ、彼ね。この前ココを辞めたよ」(あっさりと)

「へ?」
どうやら私と入れ替えになったみたいでした(図られた?)。
(…どないしょう。教えてくれる人がおらへん。社長の言うてはった「独学」言うのは、こういう事やったんかぁ。)
手元に残ったのは、「リファレンスマニュアル」と書かれたぶっといリング綴じの本が数冊と、それまでこの筐体を触ってはった人が使ってたソフト「Adobe Illustlator 1.9.6 J」と「Adobe Photoshop 2.0」、数字だけ書かれたFD(フロッピー・ディスク)が引き出しの中に無造作に放り入れられていました。本棚と思しきところには、当時資料として貴重だった「月刊 Mac LIFE」が数冊、平積みされているだけでした…。


ひめよしのひとり言
一体型フォルムの愛らしさ: 画面の中に微笑むアイコンたちや「Wellcome to Macintosh」の画面を見ただけで、何かやる気が出たり「おはよう」と筐体に挨拶してたもんです。
ワンボタンマウス: 誰もが直感的に、迷わず操作できるように…。ジョブズの哲学がギュッと詰まった、あのシンプルなマウスこそが革命でした。数年後初めてPC-98シリーズを見たときに「なんでマウスにボタンが二つあんねん?」とマジでツッコんでました。
1. 起動音が鳴る、あの静かな興奮
今のMac(以降マック)は、電源ボタンを押して(MacBookなら開けて)数秒後には準備ができてて「はい、いつでもどうぞ」いう風になってますけど、昔のMac(Macintosh)は違いましたなぁ。
モニタと本体の電源スイッチを押した後、少し間をおいて鳴り響く「ジャーン」という独特の起動音(Startup Chime)が鳴る。あの音は単にシステムが起ち上がった機械的な合図やなくて、「さぁこれから異世界の旅に出るでぇ」ゆぅ、ちょっと大袈裟な言い方やけど『儀式の鐘の音』みたいなもんやったと思います。味があるようでないような、妙な音やというのは今も変わらずですけどね。

ひめよしのひとり言
初代の一体型マックはコンパクトで「かわいいというか愛嬌がある」感じがしましたな。デスクを「ドスンと占領する」言うよりも「ちょこんと乗っかってる」感じ。動物で例えるならコアラみたいなもんでしょうか?
Macintosh PlusやSE/30〜ColorClassicまで: 小さな10インチ画面と本体が一体化したコンパクトなマック。Plusまではモノクロ画面、ColorClassicからは256色カラーになりました。
Happy Mac:別名「ニコニコマック」。正常に起動した時にHDを読み込むカリカリ音と共に画面中央に出てくるアイコン。この後進捗を示す横長のバーが出て、右端までいけば無事に起動したことを示します。黎明期のマックにはこの途中で止まってしまう現象(フリーズ)がよく見られました。

爆弾マーク: 別名「出た」「ドカーン」など。突然現れる「システムエラー」のマーク。根詰めていた作業が一瞬で消えてしまう必殺必死のアイコン。「システムエラーが起きました」の非情なメッセージは見た者を瞬間で凍りつかせるほど。これを見たときは「終わった…」「保存(⌘+S)する手前でなんでやねん!」とツッコミ満載でした。「怨みのマーク」とも言いました。

Sad Mac:別名「ばってんマーク」「泣きマック」起動時、何らかのエラーで正常に起ち上がらなかったときに出るアイコン。真っ黒な画面の中央に16進数の16文字とともにポツネンと出てくる悲しいヤツ。エラーを解除するためのソフト「ResEdit(後述)」がここで活躍します。このエラーコードが読解できるかどうかでその人の「マックへの熱度」が図れるくらいでした。ちなみに16進数のコードは後のMac雑誌などでマウスパッドとして使われる一覧表となって図式化され、普通?のマック使いにも読解できるようになりました。

2. 「パソコンの頭脳」を触らせてくれた伝説のソフトたち
今のアプリはどれも洗練されてますけど、当時はソフト一つひとつに「発明」の衝撃が詰まってました。提供はすべて「3.5インチフロッピーディスク(FD)」。このFDに助けられたり、どん底に突き落とされたり、文字通り「鍵(キー)」を握っているのがこれらの初期ソフト群でした。
その中でも「頭の中にこびりついて離れんソフト5つ(のうち2つ)」を触りだけ見ていきましょか。(アツく語りだしたらYoutubeの動画一本出来るくらいですんでw)
HyperCard(ハイパーカード)
ビル・アトキンソン氏が作ってくれました超有名ソフト(らしい)。Webが広まるずっと以前に「リンク(ハイパーテキスト)」の概念」を教えてくれたそうな。プログラミングなんか知らんでも、「自分だけのMac世界」を作れるんやから、通にはたまらんかったやろですなぁ。私はまだその頃、触りたてのホヤホヤやったんで使えませんでしたけど。
Res Edit とDisk First Aidキット(FDソフト)
「ResEdit(Resource Editorの略)」はまさしく「Macの救急神ソフト」。
ただし、じかにシステム内部をいじくる事ができるんで、最悪Systemそのものを壊してしまう危険性も併せ持つ怖〜いソフト。うまく使いこなせば、『マックの修理専門屋で喰える達人』が出来る「神」。逆に悪事に使用すると7桁マックを瞬時にポンコツ化としてしまう事もできてしまう「悪魔」。初心者は絶対に手を出してはイケナイ。
当時であれば、それ(SystemをいじくってPCを駄目にした)が原因で会社をク◯になっても「ResEditを使いこなせるならMacintoshの修理屋」として喰っていけましたから、すごいソフトであることは間違いないです。
「Disk First Aid」は、『うまく起動しないが「Res Edit」を使うのは怖い』ときに使う「自作型Systemレスキューソフト」。これをそのまんま使うと「商品出荷時」のSystemの状態で復活してくれる。あくまで「商品出荷時のSystem」なので、「使っている状態の安全なところまで進むことはできない」ので注意。使い方はあらかじめマック用にフォーマットをしておいたFDに(使っていた時の安牌の)最新Systemをバックアップしておき、特殊キーを押しながらそのFDを入れマックを起動する。うまくいけばバックアップしておいたときまで遡って復活してくれるありがたやのソフト。
これもクセモンで「復活の呪文」と同じく、一つでも間違いがあれば復活しないか、してもかなり手直しをしないと期待通りに戻らん、『運まかせ』な部分も持ち合わせてたな。
自作の「Disk First Aid」であかんかったら、最初から付属の同ソフトを使うしかない。すなわちふりだしに戻される訳。ColorClassicの頃のようなマックなら256KBのFD一枚で出来たんやけど、Systemが肥大化するにつれ、FDを複数枚用意する事になった(IIcxで7〜8枚)。これが嫌で離れていくマックファンも数知れず(結構じみ〜に時間喰い)。MDやCD-ROMの登場によりバックアップが大記憶容量かつ高速化にできるようになり、「ResEdit」「Disk First Aid」は次第に影が薄くなっていきました。


漢字Talkの登場と日本語フォントの夜明け
当たり前の「日本語入力」も当時は難解でした。なにせ「アメ〜リカ生まれのアメ〜リカ育ちからの輸入品を日本語対応させよう」なぞ、当時はそらもう格闘ゲーそのものやったねぇ(遠い目)。Systemリソースをやりくりしながら、1バイトと2バイトを両立させる「漢字Talk」は確かに画期的でした。とはいえ日本語フォントはゴシック体の「Osakaフォント」とサンセリフ体の「Kyoto」の二種類だけ(しかもビットマップ) 笑 ズームアップするとギザギザでとても現場で使えたシロモノやなかったです。
対応ソフトも貧弱で、内蔵されていた「MacWrite(後クラリス社と組んでできた「PageWrite II」現Pages)」ぐらいしか使い道はなかったです。「WYSIWYG(ウィジウィグ)」(見たままがそのまま印刷される)って何?の、「名ばかり貧弱日本語対応ソフト」(ひでぇ言い方)でした。
漢字Talk6.x.あたりから対応フォントも数が揃いAdobe社の開発した「ベジエ曲線を用いたアウトラインが取れるフォント(PostScriptフォント)の登場」で、ようやくズームアップ画面に美しい日本語フォントが表示されました。やがてTrueTypeフォントが登場して更に進化を遂げ「DTP(Desk Top Publishingの略)するならマックを使おう運動」が全国に広がりだしました(この辺りは話半分、今では「DTP」いうことば自体が死語ですな)。
※System7から日本語入力ソフトとして名付けられた日本語入力変換プログラムは「ことえり」です。「ことえり」という名前こそ出てきませんが、れっきとした「現存する化石化した日本語入力変換プログラム」で今でも現役です。変換のアホさ加減は某大手ソフトメーカーMS-IMEと大差ありませんでした(キッパリ)。本格的に文章を書く人(ライターさん)なら有名な、「日本語変換御用達ソフト・ATOK◯(◯はVer.ジャストシステム社)」を購入してインストールしていました。

ひめよしのひとり言
今のマックで同じ現象(フリーズ等)が起きても「しゃあないなぁ再起動して休憩とるかぁ」と、軽く流せる程度になりましたが、当時は頭の中が真っ白になったもんです。(「自動バックアップ機能(TimeMachine)」などまったくなかったですからねぇ…)左手はいつでも⌘+Sで固定してました。(;´д`)トホホ…
丸漢フォント
「漢」と書いて「男と読む」…訳では決して無い。Macintosh日本語版ではプリインストールされた日本語フォントの総称。詳しく分けると「丸漢フォントアイコン」「書体の種類を表すフォントアイコン」「それらをひとまとめにしてパッケージにしたものがスーツケースアイコン」面倒くさいようですけど、この3つが1セットになって体をなしています。
日本語フォントは画面表示用の「Osakaフォント(ゴシック体)」と「Kyoto(明朝・サンセリフ体)」と、印刷用の「中ゴシックBBB」と「細明朝体」があります。更に「細明朝体」は「リュウミン」「中ゴシックBBB」は「中ゴシック体」に分類され、異なる環境下でも同じ様に表示・印刷することができました。「なんで関西の名前がついとるん?」と聞かれても「知らんがな」でした。ホント、最初っから入っていたんだからしようがない。それこそ「生成AI」に尋ねてみて下さい。長〜い説明文が出てきますから…。



3. 「道具」やないねん「相棒」やねん!洗練された筐体のデザイン
スノーホワイト・デザインを纏ったあのベージュの筐体は、デスクに置くだけでその場を特別なスタジオに変えてしまう力がありました。特に後期発売された「Quadro8x0シリーズ」は群を抜いてましたねぇ。お値段も群を抜いてましたけど。タワー型で正面画はなんと申しますか「フニャっとしたアンニュイな曲線」でそれに見合わない「爆速・爆音の冷却ファン」を搭載。追加のDRAMを満載すれば軽く150万円超えのバケモノでした。ウルトラ怪獣に例えるなら「レッドキングの横暴さを持った一兆度の火の玉を吐くゼットンを取り込んだベムスターのようなキングジョー」とでも申し上げましょうか。とにかく「規格外なシロモノ」で、マックファンなら満場一致でNo.1の推しMac(のはず)です。…いや、間違いなく…多分…)

2026年の今、私はM1チップ搭載のiMacとUS配列拡張キーボードと、同じくM1チップ搭載のMacBook Air(UK配列)を使うてます(Macintosh時代からローマ字入力を使うてましたんで、あえてこういった配列のキーボードを使うてます。見た目の好みの問題やね)。
ひめよしにとってMacは、生活に溶け込んだ当たり前のモノになりました。いや「道具」やのうて「相棒」やね。ダチ、ツレ。
Macintoshと言う名のPCには「PCの世界を変えられるかもしれん」っていう、何やしらんけど純粋(いき)で熱い夢がぎゅうぎゅうに詰まった「おもちゃのカンヅメ」みたいな気がしてならんのです。
素直なようで意地悪な側面もある、悪友のような親友のような、空気みたいでその割に存在感(圧)はすごいもん持ってる。正直、言葉に例えようがないモノなんです。
結びに代えて…温故知新のAppleライフ
Macintoshを懐かしむんは、単なる現実逃避やないと思うんです。それは、ユーザーである皆さんがApple製品にずっと求めてきた「使い手への愛」や「驚き」の原点を、もういっぺん確かめる事」やないかなと。「そんな大袈裟な〜」と思わはるのも無理はない、それほど不思議なモンを持っとったんやさかい仕方がない。
こうして顧みると、今の薄くて速いM1 Macを使ってブログなるものを書いておる自分も変な感じがします。あのベージュ色の「Made in U.S.A」と書かれた固いダンボール箱に入った68系Macintoshには、「今のMacとは違う魂(スピリット)」みたいなもんが宿ってた気がしますなぁ。
ほんの十数年前、iMac発売当時「満面の笑みをたたえたジョブスに抱きかかえられたiMacのポスター」はアップル信者やのうても知ってると思います。あんな型(や色)のPCを想像できました?
「グッドデザイン賞」でもない「イグノーベル賞」でもない、「!」と「?」の記号しか思い浮かばんのです。それほど衝撃的でした。
そんなMacintoshを思い出しながら、一句…、

虹色の かじりかけたる 林檎の実 使うて今や この身の一部
なんや、えらい文学っぽいもんになってきたな。ぼちぼちこっち(現代に)戻っこうか。
まぁ安心し。小噺の起動は長ごぅても、落ちるのはすぐやさかい…。
マックに関するちょっとした小噺、つづきは次回の講釈で…。
【次回予告】〜見やすかったコントロールパネルと機能拡張〜
